極楽とんぼのロボット製作記

情報工学系大学院生がロボットとその周辺技術や身の回りの出来事について紹介するブログ

目指せ機械学習マスター[#01](機械学習の事始め:『人工知能は人間を超えるか』)

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tani_AI_Academyさんの記事に影響を受けて、自分も機械学習の勉強をはじめました。機械学習の分野は多岐にわたっていて、初心者の私は何から手をつけて良いか分かりませんでした。 qiita.com 上の記事では機械学習をマスターするまでの道のりが示されています。

手始めに フェーズ1の参考図書として紹介されていた。松尾 豊 (著) の『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの (角川EPUB選書) 』を読んでみました。

人工知能とは何か

人工知能の定義については専門家の間でも意見が分かれています。

たとえば、公立はこだて未来大学学長の中島秀之氏は、人工知能を「人工的につくられた、知能をもつ実態。あるいはそれをつくろうとすることによって知能自体を研究する分野である」と定義している。
人工知能学会の元会長で京都大学大学教授の西田豊明氏は「『知能を持つメカ』ないしは『心を持つメカ』」と定義している。

自分はそもそも知能というものが定義できていない、あるいは定義することが難しいために様々な見解が出てきているのだと考えています。何を持って知能とするのかは人によって様々です。アリを例にすれば、自らや仲間が環境中に出したフェロモンをたどることで餌場にたどりつき、更にその経路の最適化まで行われます。このように言うとアリはものすごく賢く感じますが、1つ1つの個体が行っているのは餌にしろフェロモンにしろ匂いのする方へ向かうということだと考えると賢くないように感じてしまいます。iPoneのSiriも対話が成立している時は、ひょっとしたらこれはすごく賢いのでないかと思ってしまいますが、「私には〇〇の意味はわかりません。Webで検索してみましょうか?」と言われた瞬間にやっぱり賢くないなと感じてしまいます。ここから考えられるのは知能のあるなしは人間が対象の行動から類推するもので、例え優れた知能を持つものであっても外界に何の出力もしないものには知能を見ないということではないでしょうか。知能はあくまでそれを観測する側が知能のある、なし、高い、低いを決めるものなのではないかと考えています。
人工知能という言葉の解釈の違いから、現在、様々な製品が人工知能搭載を謳っています。このため人工知能搭載と書かれていても、その中で実際どのような技術が使われているのかわからなくなっています。著者は世間一般で言われている人工知能を搭載した製品というものを4つに区分しています。

レベル1:単純な制御プログラムを人工知能と称している
レベル2:古典的な人工知能
レベル3:機械学習と取り入れた人工知能
レベル4:ディープラーニングを取り入れた人工知能

人工知能の3つのブーム

第1次AIブーム

人工知能には3つのブームが存在しています。

第1次AIブームは1950年代後半〜1960年代。コンピュータで「推論・探索」をすることで特定の問題を解く研究が進んだ。しかし、いわゆる「トイ・プロブレム(おもちゃの問題)」は解けても、複雑な現実の問題は解けないことが明らかになった結果、ブームは急速に冷め、1970年代には人工知能研究は冬の時代を迎えた。

この時代の人工知能と読んでいる技術は現在の木探索などの探索アルゴリズムのことであることに驚きました。かつて人工知能と呼ばれた技術であっても時代が経って一般化されるとそれは人工知能技術ではなくなってしまう。ちょうど自律移動ロボットの技術が自動運転に利用されると自動運転技術になってしまうのと同じ流れを感じました。

第2次AIブーム

第2次AIブームは1980年代であり、コンピュータに「知識」を入れると賢くなるというアプローチが全盛を迎え、エキスパートシステムと呼ばれる実用的なシステムがたくさんつくられた。しかし、知識を記述、管理することの大変さが明らかになってくると、1995年ごろにはふたたびAIは冬の時代に突入してしまう。

専門家から様々な知識を抽出して、専門家のように判断するエキスパートシステムは専門家から知識を取り出すことが大変であることと、ルールの数が増えるにしたがって、それらを矛盾なく整理することが難しいという話を読んで、自分がロボコンなどでロボットの行動をルールベースで記述していたころを思い出しました。やはり単純な問題ならばif/thenで書けないこともないのですが、ルールが増えてくると、どこに変更を加えるとどこが変わるのかが不明瞭になってしまうという問題を抱えていました。
知識獲得のボトルネックだけでなく、フレーム問題やシンボルグラウンディング問題もこの時代からの人工知能が抱える課題です。著者はフレーム問題については

フレーム問題は、あるタスクを実行するのに「関係のある知識だけを取り出してそれを使う」という、人間ならごく当たり前にやっている作業がいかに難しいかを表している。

と書いています。例えば友達との待ち合わせに行くとして、大抵の人ならば待ち合わせの時間よりちょっと早めに着くように移動するでしょう。それは途中で電車なりバスなりが遅れることを想定していたり、初めての場所で迷ってしまうことを前提としていたりするからかもしれません。でももっと範囲を広げて考えれば、もし行く途中に誰かが道で倒れていて、その人を助ける必要があったとしたら、その時間も考えなければなりません。もしかしたら途中で交通事故にあうかもしれない。もしかしたら空から槍が降ってくるかもしれない。そのためにはヘルメットを買いに行かなければならない。というようにありとあらゆる想定をし始めると結局、待ち合わせの場所に行くことは不可能になってしまいます。こうした想定を常識の範囲内で行わせることが難しいというのがフレーム問題です。
シンボルグラウンディング問題は

コンピュータは記号の「意味」がわかっていないので、記号をその意味するものと結びつけることができない。
たとえば、シマウマを見たことがない人がいたとして、その人に「シマウマという動物がいて、シマシマのあるウマなんだ」と教えたら、本物のシマウマを見た瞬間、その人は「あれが話しに聞いていたシマウマかもしれない」とすぐに認識できるだろう。人間はウマの意味とシマの意味が分かっているからである。

と書いています。このたとえは少し分かりづらかったです。前に人工知能に関する授業を受けていた時に聞いた例え話としては、「リンゴについて説明しよう」というものがありました。リンゴと言えば、赤くて甘くて、木になっている果実と答えるでしょう。では赤とは、甘いとは、木とは何でしょう。こうした問答を続けていくと結局、それは自然(宇宙全体という意味での)とか、概念とか、非常に抽象的な言葉を使って説明することから逃げる他なくなってしまいます。記号を使って記号を説明することは難しく、私達は通常、言葉である記号と実態である物とが一対一対応がついているから言葉を使って認識を共有することができます。一方、人工知能に言葉を使って言葉を教えようとするとこのシンボルグラウンディング問題が発生してしまいます。 著者は最終的に

コンピュータがデータから特徴量を取り出し、それを使った「概念(シニフィエ:意味されるもの)」を獲得したあとに、そこに「名前(シニフィアン:意味するもの)」を与えれば、シンボルグラウンディング問題はそもそも発生しない。

と述べています。

第3次AIブーム

ここでは学習するとは分けることであるとして、様々な分類アルゴリズム(最近傍法、ナイーブベイズ法、決定木、サポートベクターマシン、ニューラルネットワーク)などの紹介がされています。この段階での機械学習では何を元に分類するかという特徴量を人が決める必要がありました。

機械学習の精度を上げるのは、「どんな特徴量を入れるか」にかかっているのに、それは人間が頭を使って考えるしかなかった。これが「特徴量設計」で機械学習の最大の関門だった。

ディープラーニングの登場で、それまで人手で行っていた特徴量設計を機械で行うことができるようになりました。画像の中に写っているものを答える問題や文字の認識など、様々なタスクで大幅に認識率が向上しました。

ディープラーニングは、データをもとに、コンピュータが自ら特徴量をつくり出す。人間が特徴量を設計するのではなく、コンピュータが自ら高次の特徴量を獲得し、それをもとに画像を分類できるようになる。

これからの人工知能

著者は人工知能が6つの段階を経て進化していくと述べています。

①画像特徴の抽象化ができるAI
②マルチモーダルな抽象化ができるAI
③行動と結果の抽象化ができるAI
④行動を通じた特徴量を獲得できるAI
⑤言語理解・自動翻訳ができるAI
⑥知識獲得ができるAI

私はロボットに機械学習を応用したいと考えているので③の行動と結果の抽象化ができるAIが気になっています。どんな行動をすればどんな結果が発生するかを予測できれば、ロボットにアームを取り付けて、何かをどこかに移動させるといったことが今よりも容易になるかもしれません。実際に人工知能がこの6つの段階を経ていくかは分かりませんが、人の代わりに何かの課題を実行するのに必要な要素が含まれていると感じました。

本を読んで考えたこと

大学時代の教授が言った「機械学習なんてただの写像だ」

大学時代に自律移動ロボットの研究をしている研究室に在籍していました。その研究室の教授は安易に機械学習に飛びつくことを良しとせず「機械学習なんてただの写像だ」とおっしゃっていました。今回、この本を読んで「ただの」というにはもったいないくらいの技術的ブレイクスルーを感じました。それは本の中で繰り返し述べられている特徴量を機械が見つけられるようになったことです。これから人工知能を使っていくことで人間が気づきもしなかった特徴が洗い出されることが楽しみでなりません。

人工知能が人類と敵対するか

最近の人工知能のめざましい発展の中で、人工知能がいつか人間と敵対するのではないかという話も出てきています。人工知能が人と敵対するには知能だけでなく生命も必要であると述べています。さらに人工知能が生命を獲得する方法として3つのシナリオが紹介されています。

①人工知能を生命化する方法(ロボット編)
②人工知能を生命化する方法(ウイルス編)
③人工的な生命に知能を持たせる方法

本ではこれら3つの方法がどれも上手くいかないという説明から、人工知能が実現しないと述べられています。これは私の意見ですが、たとえ人工知能が人間より優れた知能と生命を持ち得たとしても人類と真っ向から敵対するようなことはないのではないかと考えています。立場を変えて考えると人間より優れた知的生命体が人間に敵対するというのは、人間が人間以外の例えばネズミなり虫なりと本気で敵対するということで、それは小学生相手に本気でキレてる大人と変わらないような気がします。優れた知的生命体は人間と争うことすら馬鹿馬鹿しいと思うのではないでしょうか。

この本で分かること

  • 人工知能の大まかな歴史
  • 人工知能の代表的な手法
  • 人工知能が抱える課題
  • 著者によるこれからの人工知能の発展の予想

あとがき

初めて書評のようなものを書きましたが、意外と難しかったです。著作権に触れないように自分の意見と本の記述がしっかりと分けること、どの部分を紹介して、どの部分を紹介しないのかを決めることなど、まだまだ足りないところばかりだと感じました。